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サザンコンフォート

                      グラス片手の四方山話

シーリングライト

時折雑踏に身を沈めたくなる事がある。
晩夏の頃だからなのか、ふと力が抜けてしまう瞬間がある。
そんな時、排ガスやクラクションの中を彷徨ってみたくなる。

一昨年は冷夏であった。

自慢にはならないが、私は体力の無い方である。
量を食べられなくなったのだから仕方ないのだが、それには理由があり、一昨年の夏に端を発する。
娘が連れ去られて2ヶ月の頃、気も狂わんばかりに、あちこちを探し回っていた。
冷夏とはいえ湿度は必要以上、汗を滴れせながら近辺の街を探し回り、家に戻ってからは飯も喰わずに焼酎ばかり飲んでいた。
娘は十分に喰っているのだろうかという想いが、私だけ喰う事は出来ないという思いに達し、食事の回数が減って行った。
それでも汗だくになりながら、方々を探して廻った。
主に交番や子供の集まりそうな施設、マンスリーマンションであった。
2年経った今は、ようやく一人前の分量を喰えるようになったが、過度のストレスから過敏性大腸炎を引き摺っている。

片っ端から電話もしてみた。
それでも何ら手掛かりは得られなく、堪え切れなくなり、宛ても無く彷徨う毎日を繰返していた。
当時住んでいたT市周辺はもとより、都内にまで探しに行った。
コンビニや商店を訪ねては、聞き込みをして廻った。
ともかく2人の命が気が気ではなかったので、所轄警察にも何度も足を運んだが、なんなく追い払われ続けた。
取り合えず家出人捜索の手続きには応じてはくれたが、後に、これにはカラクリが有る事に気付いたのだった。

基本的に土日は家出人捜索の受付はしていないとの事だったが、私の余りにも酷い形相に驚いた、多分○暴担当と思われる刑事の指示で、少年課の警官が調書を作ってくれた。
調書は事細かに及んだ。
家庭状況に始まり、経済状況、家事育児の状況、口論の内容、果てはセックスの回数迄である。
最初に対応してくれた警官は穏やかな態度であったが、1日をおいて再度担当部署を訪ねた時は、まるで逮捕するぞと言わんばかりの対応であった。
娘の生命が定かでない状況下である。
普段なら何なんだお前らと怒り散らすところであるが、傷心の身故、何とかお願いしますになってしまっていた。
翌日、再度訪問したが、またしても門前払いであった。
対応した茨城出身(方言から判断)の刑事には、「お前、嫁をぶっ壊したんだろ!」と怒鳴られた。(ぶっ壊す←殴る蹴るという意味)
オイオイ、ぶっ壊すのは自民党だけにして、小泉だけに言わせておけ!
何でこんな時、汚い響きの言葉を使うのか。
流石に怒鳴り返したかったが、馬鹿に点ける薬は無いというもの。
連日の捜索と心労でヨレヨレであったが、質問を繰返して食い下がった。
コイツらには難しい質問はNGと、親父の同級生の元デカ長に聞いていたので、正に新聞沙汰にするぞ位の気迫だけは伝ったのだと思う。
この野郎、最後には「すみませんでした」と、頭を下げて来た。
今更コイツを告っても何ら解決にはならないので放ってあるが、それより何より、その後悪質な背景を思い知らされる事になった。

毎日、いや毎時間、、毎分娘が心配でならなかった。
ともかく、話に聞いていた友人宅周囲の街や、幹線道路沿いを潰し歩いた。
そんな中、警視庁管轄の交番の警官は真面目に話を聞いてくれた。
「何か違う」と、正直思った。
扱いが丁寧なのである。
勿論、怒鳴られる事などなく、親身に話を聞いてくれた。
「車での行動範囲を辿って探してます」と、正直に話した。
ポイントは、マンスリーマンションのカタログであった。
思えば連れ去られる1ヶ月前にそれを見ていた。
悪書「完全家出マニュアル」(現在廃刊)と共に。
入念に計画された連れ去り事件であったのだが、仕事と家事、育児に追われていた当時は、全く気が付く余裕すら無かった。
「完全家出マニュアル」ですら、「またおかしな小説を読んでやがる」と、思った位だった。

娘の捜索は途方に暮れていた。
そんな時、地裁からの呼び出し状が届いた。
丁度2年前のこの時期である。
内容はDV訴訟であったが、訴状とは言えない程の稚拙なものであった。
例えるなら、今流行りの【実録】猫裁判のそれにも等しい。
私としては、とにかく生きていてくれた事に感謝して、呼び出しの日にA4で50枚程の意見書を裁判所に提出した。
裁判官は早々に目を通してくれたようで、「有った事は事実なんですね」と、同情さえ感ずる言葉で確認を求めてくれた。
口論の末、1、2度は手を揚げた事実は有った(勿論私も殴られたが)ので、そのまま命令を請け入れるしかなかった。
地裁へ行く前、私は弁護士さんに相談は入れていたのだが、早々に離婚を勧められていた。
だが、本音は、、娘が片親になってしまう事を考えて、かなり躊躇していた。
なので、現在の状況を作るに至った、この時の判断は辛かった、、、本当に。
訴状には、暴力、暴言に堪えられなくなった結果、鬱になり、家事も出来ないようになったと有ったが、本当の所は最初からやる気が無かったのだ。
本当はもっと深い心理的な理由があったのだが、正直には何も語られていない。
更に、共依存、ボーダーラインという症状を、最初に説明しなければいけないので、深くなり過ぎるので次号にて。

でも、今になってつくづく想う。
よくこんな状況下にあって、精神的によくぞ耐えて来られたのかと。
訴状を請けとってから、弁護士さんとも相談し、親族相盗で無一文になっていた私は実家に戻る事にした。
サブタイトルのシーリングライトだが、娘と元妻と暮らしていたマンションに、部品を置いて来てしまったのだ。
私としては怒りと悲しみとが混濁し、とても冷静では居られない中での引越しだった。
体は鉛の如く重く、心が荒れ狂った状況下の退去作業である。
しかも娘とは電話ですら話せない、おまけにカネも無いという状況をどうやって納得しろというのだ。
暴力を振るわれ、陥れられたのは本当は私の方だと、心底叫びたかった。
退去は調停中の事で、冷静さを装ういながらも、込み上げる怒りに動転していたのが本当の私であったろう。
全てを片付けて退去するようにとの、向こうの弁護士のからの要求が有ったのだったが、私は断固突っ撥ねた。
残されていたのは、元妻のゴミばかりであった。
要は、面倒な事はお前がやっとけという事だったのだが、何処まで人をコケにすれば気が済むのか、神経が計り知れなかった。
だがそれは、それまでの元妻の生活態度を、そのまま物語っていた。

退去して半年余り経過した頃であろう、毎日毎日、理不尽な訴訟内容を思い出しては怒髪天を突いていたのだが、正直精神的にはかなり参っていた。
人間不信、特に女性不信に陥っていたと思う。
そんな自暴自棄になっていた時、ブログと出合った。
特に悪徳不動産屋の独り言さんには随分と助けて頂いた。
その熱い語り口に、世の中、まだこんな人も居るんだ。もう一度、人を信じてみようかと思える位になった。
そうしてもう一人誰より、ある人にはずっと支え続けられた。
当時からやり取りしたメールは、既に300通を超えている。
この先もずっと私の宝物である。

思えば、この二人が立ち直りの契機をくれたのだと感じている。
心から感謝しています。
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  • 2005/09/28(水) 23:18:33 |
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